愛と夢と希望を売つて生きてゐます

一八歳の頃から、愛と夢と希望を売つて生きてゐる。
結局其れはニセモノなのだらうけれど、其れでもさうして生きてゐる。


そんな事を、テキーラ煽つて上機嫌な儘に歩いてゐた新宿にて気付かされたのだ。


誰かを心底愛したことや、誰かに心底愛された事があるか如何かを僕は知らない。
そんな事知つたこつちやないけれど、なんだかまア其れは其れで如何でもいゝや。


人に対してとか、ぢやない。
別に其れだけに限つたことぢやなくて。

何かを成し遂げるにも、何かを守るにも、何かを抱くにも、何もかも。

愛が一番大事ぢやないかつて、ふと思つたのさ。



果たしてそんな僕にも、心底愛してゐるものは、ひとつだけ、たつたひとつだけあるんだけどね。

多分、僕の中で一番一番大切なもの。
失くしちやだめなもの。
呼吸を始めて二二年目にやうやく見つけたもの。

其れだけは、何があつても守りきらうつて、先刻僕は、さう思つたんだ。

二〇一一年二月二四日・其の参

僕はシャワーを浴びてゐた。洗顔をしてゐて、ふと、顔面の違和感に気付く。リップのピアスのボールが取れてゐた。此れは困つたな、と思ひつゝ、代はりのボールをピアス容れから探した。リップのピアスは14Gで、14Gのリング用のボールなら沢山あるのにバーベル用のボールで丁度良いサイズの物が―どれもリップにつけるには大き過ぎた―一つも見当たらなかつた。他の場所のピアスのボールと取り替へようかとも思つたが、それでは其処のピアスが左右不揃ひに為つて仕舞うものばかりで、僕は途方に暮れた。

二〇一一年二月二四日・其の弐

昔の戀人に数日前に貸した三〇〇〇円を返して貰ひに行つた。普段なら三〇〇〇円だなんてなんてこともないのだが、今の僕は体調を崩しずつと仕事に行けず、医療費ばかり嵩んで其の日暮らしのお金にも困つてゐたのだ。

本当にあいつに返す気があるのだらうか、と不安に思ひつゝも待ち合はせ場所に向かつた。すると彼は僕の財布を勝手に取り上げ、諭吉一枚とJCBギフトカード数枚を入れた。僕が「お釣り細かいのないよ。て、云ふか何今の?」と云ふと「いゝよ、とつとけ。」と彼は云つた。彼がケチなのは知つてゐたので―なんせデート代は全部女の子が出すものだと本気で思つてゐる様な奴なのだ。付き合つてゐた当時、とあるデートの日に彼が僕の為に二〇〇〇円弱を遣つたのだが「俺、女にこんなに出したの初めてかも。」と云つたくらゐに。―とても不思議に思つた。

家に帰つてからニュースを見た。テレビで殺人のニュースが報道されてゐる。「神奈川県横浜市で老人女性殺害」「家の中に争つた形跡は無し」「殺害後と見られる後にキッチンが掃除されてをり…」ニュースの報道の内容を見て、「嗚呼、あいつ、遂に自分のお祖母ちやんを殺したんだ。其れでそのお金をとつて來たんだ。捕まるのも分かつてゐて、だから最後に僕にお金を呉れたんだ。」と僕は思つた。

二〇一一年二月二四日・其の壱

僕は繁華街にゐた。道を歩いてゐると、たまたまK姐さんに出逢つた。それから他のバンド友達のKも、偶然に歩いて來て、三人で「おゝ」と云ふ感じになつてゐた。K姐さんのメイクがいつもよりもばつちりだつたので(顔に色とりどりの小さな星のスパンコールが沢山ついてゐて、小さなラメもちりばめられ、普段は薄いアイメイクもばつちりだつた)「今日はなんでそんなにメイクがばつちりなの?」と訊くと「今日はメイクさんにメイクして貰つたんだよね。」と彼女は答へた。
さうして彼女のバンドの新しいCDがインディーズチャートの三位になつたことを聞いた。僕とKはおめでたう、と喜んだが彼女は不服さうだつた。「だつて、地元の友達に訊いたらうちのバンド、名前も聞いたことないつて云ふんだもん…。」としよんぼりしてゐた。
僕は(確かにインディーズチャートの三位だつたら音楽に興味ない人は知らないだらうからなア)と考へつゝも流石に云ひ出し辛くて黙つてゐた。

それから二人と別れて僕はデパートに行つた。靴が目当てゞデパートに行つたのだけれど結局気に入つたものがなくぶらぶらしてゐた。すると一階出口近くで明らかに他の店とは異質な、インフォメーションでもなさげな場所があつた。其処には二人の女性がゐて、二つの長机があり、長机の一つは横に、もう一つは少し場所をあけて縦に並んでゐて椅子は向かひ向かひに合はせて四つあつた。一番異様なのは彼女達の格好だつた。躰のシルエットにぴたりとあつた光沢のある服を着てゐて其れはラインの短い丈の白や銀色や黒で構成されたノースリーブの服で、その下には同じ色合ひ・素材のミニスカートを履いてゐた。手首には黒色のベルトに大きな銀色のスタッズのついた腕輪をしてゐて、如何みてもデパートの店員、と云ふよりはSMやフェティッシュの匂ひがした。
一人の女性は机越しに向かひ合つた男性と話をしてゐて―そしてとても偉さうな口調で男性に対して話してをり、男性はへこへこと申し訳なさげにだけどにやにやと嬉しさうに話してゐた―もう一人の女性は机の近くに立つてゐた。
僕は興味をもつたのでもう一人の女性に話しかけてみた。すると如何やら此処はお店の一種で、ある種のSMクラブ的な、男性がお金を払つて女性に怒られたり無下な扱ひをされる為のお店だと教へて呉れた。男性と話してゐる女性も、男性に対してはとても酷ひ態度をとつてゐるのに僕に対してはとても親切にフレンドリーに接して呉れた。
男性と話してゐる方の女性が男性に対して「私もうお腹が減つたわ」と云ふので、僕と男性と話してゐない方の女性が何か軽い食事を購ひに行かうか、と申し出た。(どうせなかなか此処はお客さんも來ないから、とその女性は云つた。)僕も特に用事もなく、その女性二人の事が気に入つたので、一緒にデパートの中の食品売場に向かふ事にした。

二〇一一年三月二二日・其の弐

僕のベースの師匠の親友のTから師匠が亡くなつた事を聞いた。あまりにも突然の出來事に僕は放心状態に陥り、只々途方に暮れてゐた。師匠よりも僕の方が必ず先に死ぬと思つてゐたのに、師匠はまだ23なのに、如何してこんなに早く、如何して僕より早く、如何してこんなに突然に、と。僕は酷く絶望して、さうして、どこまでもどこまで深く深く哀しんだ。

二〇一一年三月二二日・其の壱

僕がお店に出勤すると、沢山の女の子の荷物がなくなつてゐた。皆口々に「私のドレスがない。」「私の靴がない。」「ねえ、私のポーチ見なかつた?」と云ふ様なことを話してゐる。
さうして僕の荷物も無くなつてゐた。ドレスと靴が見当たらなくて、僕はお仕事をする恰好に為れない。必死で色々なところを探した。すると、ゴミ箱の横の沢山服だの何だのが山積みに為つてゐるところに僕のドレスとヌーブラがあつた。如何してこんなところにあるのだらう?と疑問に思ひ乍も、見つかつて良かつた、と僕は思つた。
だけど靴が見つからなかつたので、如何し様、と思ひ、靴だけはお店のものを借り様かな、と考へて、お店の人に事情を話して借りに行かうとした。

二〇一一年三月一五日

ドラマーが見つからない儘に準備もロクに出來ずライヴの日が來て仕舞つた。僕とコジカはライヴハウスにゐた。他のバンドがライヴをしてゐる最中に抜けだして二人でぶらぶらと歩いてゐた。ある建物に入ると其処には沢山のテーブルがあり、その上には色々な種類の料理があつた。

僕はコジカに「今日のセトリ如何する?」とずつと話してゐるのにコジカは「うーん」等と云ひ乍一向に答へを出さない。そんなことはそつちのけでテーブルの上の料理をつまんでばかりゐるので僕はとても苛々してゐた。
そもそも僕等にはあまり持ち曲がなく、やる曲、と云ふよりは曲順を決めなければいけない、と云ふ方が適切かも知れない。僕は「今日だけでも誰か友達に(うん、さう、T君にでも)サポートでドラム頼めばよかつたなア」等と考へ乍コジカがまつたくあてにならないので一人で悶々としてゐた。
さうしてゐる間にもどんどんと出番の時間は近付いて來てゐた。更に最悪なことに僕等の出番はトリだつた。そして僕等のバンドは曲すらまだあやふやでインストにするか、唄をいれるかも決めてゐなくて、もし僕が唄ふことにするとしたら歌詞は如何し様、一層ジャムにした方がいゝんだらうか、それなら尚更ドラムがゐないと難しいな、等とずつと不安に為り乍考へてゐたが結局答へは出なかつた。